白い天井に残る汚れが人の顔に見える。柱の木目のように、一度人の顔形としてとらえてしまうと、本当にそこから誰かが見つめているような気がする。
(まして病室だと特にそんな風に思っちゃうな)
昔だったら怖い怖いと泣いてしまうところだけど、枯れ木のようになった今は特に気にならない。
それは多分、もうすぐ自分がその仲間入りすると分かっているからだろう。
全身に力が入らなくてぼんやりと室内を見回す。周囲に置いてある機械から絶えず電子音が響いてきてうるさい。
点滴のぽたぽたと落ちる動きがなんだか楽しくてじっと見つめてしまった。
(なんだったっけ、葉っぱが全部散ったら死ぬとかどうとか。僕の場合、この点滴の袋が空っぽになったら死んじゃう……なんてね)
軽く笑おうとして、たるんだ皮膚に邪魔をされる。
あぁ、年老いたなとしみじみ実感した。
人は死ぬために生きる、だからせめて、死ぬまでの間くらい充実した人生を送れ、と言ったくれたのは呑田さんで、そう言いながら自分はさっさと死んじゃったわけなんだけれど、どうやらやっと僕もその最終地点に到着したようだ。
細く長く息を吐き、ゆっくりと唇に笑みが浮かべる。
長い、とても長かった人生だったと思う。あの人と過ごした時間の何倍も、何十倍もの時を一人で生きてきた。
(自分でも、ホント、よく頑張ったと思うよ)
本当はすぐにでも後を追いかけたかったのだけれど、呑田さんの言葉に制止された。
自殺した人間と死んだ人間は同じ場所に行けないと、何かの雑談の合間に言ってて、それを覚えていたから、僕は自ら死を選ぶことは出来なかった。
あの世というものが本当にあるのかは知らない。
でも、もしも存在するのであれば、あの人と一緒のあの世へいきたい。
だから必死に、あの人を奪った神をのろいながら、生きて。
(ほら、頑張って生きたから、ご褒美だ)
まばたきをして。
次に見えた視界には、僕の顔を覗き込む懐かしい顔。
失ったあの頃の姿のまま、面倒そうに髪の毛をかきあげて、僕の方を見下ろして。
迎えに来たぜ、と、目を細めて笑ってくれた。
(また会えて、嬉しいです)
あなたを失ってからも、僕は一生懸命、頑張って生きました。
充実した毎日を繰り返して、いつかもう一度会えることを夢見て、今日の日まで頑張って生きてきたんです。
(だから、もう、いいですよね)
よく頑張ったな、と、呑田さんの手が僕の頭を撫でてくれた。
懐かしいそのしぐさが嬉しくてたまらなくて、目を細めて笑う。
笑っているのに涙があふれ、目じりからこぼれ落ちたしずくが耳の中に入り込んだ。
長い指がふと伸びて僕の手をとらえた。
僕は引っ張られるままゆっくりと上半身を起こす。
視界の隅に横たわったままの肉体が見えたけれど、それよりも目の前のこの人に抱きつくことの方が優先で、ベッドの上に残る身体なんてどうでもよかった。
――泣き虫なのは変わってねぇよな、お前。
腕をまわしてすがりついて。
今までの分をひっくるめて甘える。
僕のせいで、僕のために死んでしまった人。
ずっと好きだった。ずっと一緒にいたかった。
そのほかには、何の望みもなかったのに。
――行こうぜ、龍一。もう大丈夫だ、今までお疲れさん。
はい、と勢いよく返事した僕はいつの間にか昔の姿形に戻っていて、あの頃のまま僕は呑田さんに寄り添う。
(残していくみんなのことが少しだけ心配だけど)
でも呑田さんが迎えに来てくれたから。
(だから、もういいんだ)
ただ嬉しくて、涙が落ちる。
幸せに、笑ってみせる。
会いたい人にまた会えた。迎えに来てくれた。これからは離れることはない。もうさびしくなんかない。
一緒に天国の門をくぐって、笑って、触れて、愛して……ずっとそばにいる。
しかと手を握り合って、僕は導かれるまま光の階段をのぼる。
いつか僕もこんな風に誰かをお迎えに来るのかな、とふと考えて、その時は呑田さんにも付き合ってもらおうと思った。
[5回]
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